一消費者として、次世代技術に期待すること

こんにちは。

退職後、開発経験を生かした仕事をやりたい!とただいま試行錯誤しているところです。

がそれ以前に、私自身がひとりの消費者(ユーザー)として、こんなものがあったらいいのに(自分の開発商品でなくても・・・)というものは、結構たくさんあったりします。

極論を言えば、そういったものが今後色々なひとの手によって作られれば、世の中は便利で快適な方向にいって、困窮するひとが少なくなる訳ですので、私の仕事として利益が出ようが出なかろうが、そんなことは関係なく喜ばしい事態であると思っています。

 

他方、多方面で展開される現代の技術開発が、私の願う方向にシフトしているかという観点で見てみると、そうなっている分野もあれば、そうでもないかな、と感じている領域もあります。

 

以前、自分がエレクトロニクス関係の技術者であったことから、電気、電子業界についてはやはり気になってしまうのですが、現在大手企業でプロジェクト開発のブームがきている分野としては、なんといってもAI(人工知能)の開発、そしてAR/VR/MRといった仮想体験の世界が挙げられます。

大いに期待している技術ですが、その一方、特に日本企業は、2010年あたりに一世風靡した3Dディスプレイ、カメラ開発あたりを、ピタッと止めてしまっています。私、今ぐらいには、世の中のテレビはすべて裸眼3Dディスプレイに置き換わっていると思っていました・・・。

構造上、解像度を増やさないといけない為、4K,8Kテレビの延長線に3Dがくる、と考えたとしても、開発スピードが遅いです。その理由は、開発にかかる費用が莫大であり、限界利益率を想定値に収めることができないからだと想像するのは容易なのですが。

 

何にせよ、大手企業は確実性の高い市場で、利益率の想定がある意味容易な分野にしか手を出しません。そしてそれは、必ずしも消費者の困窮を救うものには、なっていないと思います。

個人で開発を行う意義がある分野は、こういったmajorityの要請ではなく、そこから少し外れた、置き忘れられたニーズを拾い集めて形にする部分にあるのではないか、と最近特に感じるようになってきました。

 

エレクトロニクスに絞った話になりましたが、もちろん別の分野にも新たな発明、開発要素が多くあると思います。まだ私の知識が追い付かないため、もし大きな発見がなされれば、いずれも視野外から「ダークホース」として登場するのでしょうが、それも心待ちにするところです。

2大期待分野としては、生命科学、および建築の分野を挙げたいと思います。21世紀は、奇しくも人口爆発の時代になってきました。人が自身そのものの構造(怪我、病気、それに対する医療技術の進歩を含めて)を改善したいと思う気持ち、そしてそれを十分に賄うための、居住空間、方法は、それに華を添えるものになるはずです。

どちらも、人の強い想いが背景にある領域であり、それゆえに多くの人が平行して研究、開発を行うことで、爆発的な進化を遂げるのではないかと思いますし、そうなることを夢見ております。

 

本日特許案件の打ち合わせを開始しました。

退職から約3か月と少し、ようやく新しい事業に向けて動き出すための第一歩を踏み出すことができました。

まだ消えてしまいそうな種火の案であり、特許申請の案件なので具体的な内容をこちらでは書くことができないのですが、なんとかして形になるものができ、皆さんの生活の支えになる商品が生み出せるよう、これから努力していきたいと思います!

好き活の本命①新製品開発

前職では、スマートフォン内部の製品開発・設計を担当していました。
会社という制約がなくなって、色々とやりたいことはあるのですが、自分の専門性に乗っかってできるほとんど唯一の活動が、製品開発の知識を活かした新規性のある製品の企画、開発、量産化だと思っています。

といっても、会社で扱うような格式の高い、高度なことが一人でできるとも思えず、結構しょぼい、なんだそれー!って人からは言われてしまいそうな、だけれども確かに必要としている人がいる分野の製品に絞って、極力困った人の役に立つ商品を目指しています。そうそう、それとこんな商品開発でも、なんとか食べていけるんだよ!ってことを体現していきたいとも思うので、収益性もうっすーらとベースにいれて・・・。

差しあたって、この数か月はアイデアの具体化と、製品化にあたっての諸障害の確認(特許権関係、先行製品、市場の有無)を、ゆっくりゆっくりと進めていました。こんな職業、かっちょよく言えば、発明家にあたるのではないかと思います。

しかし、アイデアっていうのは、急にぱっと出てくるものではないですよね。自分の経験では、よほど偉大な発明家でもない限り、0から1を生み出すのは無理なのでは?と邪推してます。
ではどうするのかといえば、せいぜい0.9を1にするくらい、つまり、既になにかしらの形で世の中にあるもの(モノではなくて、ニーズでもいいのですが)に触れているうち、あー、なんかこれだけでは完全じゃないな、というか、こうしたらもっといいんじゃないか、という「+α」が、発明の全てではないかと思ったりしています。

そういう意味で、既にあるもの、過去のものは、未来に新しい発明品を作っていく上で、とても重要な情報になります。大切なことは「そこにそれがあってあたり前」とは思わないことだと、常に自分に言い聞かせています。ちょっとしたものであっても、道具や設備、乗り物といったものは、何もない原始時代では不便だと、誰かがいままでに発明して形にしたものの集合体です。

如何にしてそれを作るに至ったか、その発明がどんな不具合・問題を解消して、それでも今、何かしら問題が残っていないかを考える。この活動自体、発明そのものだと思うわけです。