<クリスマス到来をスキップする方法 その二.南極or北極にある『時間の渦』を使う方法>

こんにちは!

クリスマス到来スキップ方法その②として、同じく『地理上の時間跳躍』で、別の方法はないかと考えてみました。









 

前回、日付変更線を考えてみましたが、そもそもこの線はどこを通っているのか・・・と考えていったとき、ふと『ところでこの両極って、時間どうなるんだろう?』と思い当たりました。

両極といえば、北極点と南極点、言い換えれば日付変更線と本初子午線が結ばれる場所になります。

南極大陸は、中心近辺に南極点があるため、全ての子午線が通っている。理論上、南極大陸は全ての時間帯に位置している。しかしながら、南極圏では、6月と12月の至点(冬至と夏至)の頃は極端な昼夜サイクルになるため、どの時間帯が適しているのか判断しにくくなる。実用的な用途のためには通常、時間帯は南極における領有権主張に基づく。しかしながら多くの基地では、基地の所有国の時間帯か、基地の補給基地がある国の時間帯を使っている。

-https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A5%B5%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%AE%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82

-wikipedia.org

南極はどこの国家にも属さない大陸ですが、実質的には各国の主張する領有権なり、観測所がおかれている地域の時間によって、大まかに区切られているようです。

といっても、はっきりと定義された時間がないのが実情のようで、いわば時間の概念が飛んだ『時間の渦』の中にあると言える場所になっています。デカルトが方法序説で掲げた「我思う故に我在り」の言葉の如く、はっきりしているのは、確かに自分がそこに或ることだけ、というテーゼを地でいくような場所ですね。

仮に主張領有権に従っても、日付変更線のように時間が大きく開いた境界線が、緯度線と水平に走っている地域もあるので、南北移動でタイムゾーンがシフトするという意味でも貴重な地域かと思います。

翻って、北極はどうかというと・・・調べた限りでは「タイムゾーンという考え方そのものが存在しない」点ということです。南極と同じく、時間を考えてもしょうがないと・・・海上ですし、船か飛行機でしか行けず、そこに留まっていることも難しいでしょうし、現実にはあまり時間の定義が意味を持たないですね。

いずれにせよ、ここまで来てしまえばクリスマスはおろか、日付の概念をも打ち破れるかと思います。もっとも、そこまで移動しようという強靭な決断力と行動力があれば、クリスマスを一人で過ごすことに何の躊躇もないでしょうが・・・。

日付変更線をまたぐ国 ー フィジー共和国 タウベニ島

先に当サイト「クリスマス到来をスキップする方法 その一.旅行して日付変更線を越える方法」でご紹介した方法を実践する具体的な場所として、フィジーをご紹介します。





フィジー共和国は南半球、南太平洋のほぼ中央に位置します。南緯12度~22度、東経174度~西経178度の間にある332の島から成り立っています。タベウニ島に国際日付変更線が通っています。

南太平洋に浮かぶ南海の楽園、フィジー共和国。ここに、クリスマスで冷え切った心と現実を忘れ去るための場所(日付変更線)が通る数少ない島、タウベニ島があります。

https://www.tohotravel.com/p/fiji/taveuni

-https://blogs.yahoo.co.jp/spiafiji/7196521.html

http://xn--5ck5a4gob177z170cgian33q.com/fiji/taveuni/

同じ国、しかも陸上で変更線をまたぐ国は貴重だそうで、ここ以外には極地方のとても寒い場所しかないそうです。

実際に行こうとしたら、下記が参考になりそうですね。

http://osoben.com/fiji-taveuni-international-dat-line/

(以下余談ですが・・・)

今回、クリスマスに焦点を当てて記事にしていますが、当然日付変更線を越えることは、自由な日取りで可能です。こうしてみると、世界の時間っていうのは住んでいる地域と、そこに住まう人々によって異なることを、改めて実感しました。

いまからもう結構前ですが、世紀末である1999年7月に、ノストラダムスの大予言によって、人類が滅亡する・・・なんていう話がありました。私は当時大学生でしたが、どうなるんだろうか、とある意味結果を楽しみにしていたように憶えています。

実際、終末の日(Xデー)が何月何日だとか言われていたり、21世紀の開始と同時に、いわゆる2000年問題で、旧ソ連とアメリカが核弾頭のスイッチを入れてしまって、世界が滅亡・・・とかもありましたが、世界同時に、同じ時間ではない訳です。どこかの予言する時間を合わせると、他の地域では矛盾が生じるということで、実際には絵に描いたような終末の日は来なかったことで、ちょっと安心したりする・・・それが人間なのかもしれませんね。

日付というのも、あたかも自然現象のようですが、時間が経過することはそうだとしても、それに意味づけしているのは、あくまで人間でしかないのですね。であれば、多少の時間の前後、納期の遅れなんかも、ちょっとだけ許せちゃう気持ちになるかもです^ ^。

なんとも落ちない話になりますが、『急がば回れ(地球上を!)』ってことかもしれませんね。